”無”こそ正義

”無念無想”…一切の考えを捨てて無心になること
子育てにおいて、”無”というのは本当に大事だと痛感します。
子がいらんことすれば、それによって引き起こされる自分への不利な状況が怒りへと変わり、ついつい子どもを怒鳴ってしまう。
そんな覚え多々多々多々あることでしょう。
特にかんしゃくを起こす子どもは本当に大変。
かんしゃくとは、2~4才頃に見られる行動で、泣きわめいたリ叫んだり、物を投げたり、自分の思うようにいかないとなればイライラして当たり散らすこと。
まさしくDV男と一緒に暮らしてるようなこの時期なんですが、我が子もかれこれかんしゃく起こし始めて早4年。
5歳くらいには落ち着くみたいですが、我が子は障害持ちなので落ち着くわけもなく。
そんなかんしゃく界のお局である息子に、それはもうしんどい思いをたくさんしてきました。
特に外でのかんしゃくは本当に手を焼きます。
たまに見かけますよね。ずっと泣き続けていたり、大声で叫んで暴れ回っている子。
昔はそんな子を見ると、「うわぁ…大変そう」とか「親ももっと構ってやればいいのに…」とか超絶他人事のように思ってました。
でも今では思います。
「お母さん、お疲れさまぁぁぁぁぁ!!」という思いでいっぱい。
大体かんしゃく起こしてる子の親って、「どうしたの?大丈夫だよ!もう泣かないで。迷惑でしょ。」とか必死で対応してないんです。
そんなんだから他人から見ると「あの親なんなん?」とか思われてしまう。
でもみなさんそれで”大正解なんですよぉおお!”と私は声を大にして言いたい。
かんしゃくを起こす子って、他の人の声がまず聞こえていない。触ろうとするものならグーパンが顔面に飛んできて一発KOも免れません。
もちろん諭すとかそんな悠長なことで落ち着く訳もなく、子の気が済むまで喚いているのを私達はただただちょっと離れて見守っているしかないのです。
この時母の心は大葛藤。
”こんな人が大勢いるところでマジでやめてくれ。今すぐ帰りたい。でも無理強いするもんならもっと激しくなるのは分かってる。あーイライラする!”
放置してても「親のクセに」と思われ、怒鳴っても「親のクセに」と思われる。
ですが、子のかんしゃく発動時にそんな世間の声に応える必要はありません。
こここそ我らの奥義”無”の出番。
私も大型ショッピングモールで何度この奥義”無”を使ってきたか分かりません。大衆の面前で他人から見た良い母親像のように暴れる子を諭すなぞして、鼻血ブ―の姿なんてそっちの方が恥ずかしい。
でも、子どもだっていつまでもかんしゃく起こしてるわけにはいきません。確実に疲れますから。
この落ち着いた瞬間こそ、私達が無から覚める時。
ここで「もう知らん!」とか言うと、またかんしゃく発動のトリガーを自ら引くようなものですので絶対に禁句です。
私はとにかく落ち着いたら抱きしめて、顔の近くで「どうしたの?嫌だった?」と子どもに寄り添うようにしています。
すると子は必ず甘えてきますから、もう赤ん坊をあやすように対応するしかありません。
「あれが欲しかったの?でもこの前オモチャ買ったでしょ?もうダメだよ」とかもNGワード「ダメ」が入ってるので危険。
甘えて落ち着いたかのように見えても今は体力温存してるので、いつかんしゃく砲が打たれてもおかしくない状況。
そんな時は選択肢を与えるのが結構効果的だったりします。
「これとこれどっちにする?」これはNOという選択肢がないため、イヤが言いづらくなるそう(恋愛においても使える誘導法ですよね)
うちの子この方法で対応するとすぐケロッとしてます。さっきまでは烈火のごとくキレまくってたくせに、記憶喪失したかのようにすっかり忘れてます。
外でのかんしゃくは本当に気が滅入ることのひとつ。成長の過程ではあるものの、周りの冷たい目線に耐え切れなくなる時が私にもあります。
でも、すぐキレたり大声で怒鳴ったりと大人でもかんしゃく起こす人実際多いですよね。それなら子どもがかんしゃく発動するのも無理はない。
子ども大暴走時は”無念無想”の気持ちでゆとりを持って接したいですね。