「逃げてもいいよ」はちょっと待って

2020年度の子どもたちの不登校や自殺の数字がつい最近発表されてました。
”不登校は前年度比8.2%増えて20万人弱、自殺者は415人で最多”だそうです。
コロナ禍で生活環境の変化やリズムが崩れてしまったり、交友関係が築くことが難しかったりといろんな原因があるようです。
そんな我が家の子どもたちも”行き渋り”するようになってきました。
特に中学生の長女なんか「学校行きたくない。明日休む。部活嫌だ。もう死ぬ。ほんと死にそう。嫌なことしかない。」と毎日ただいまの次の定番頻出フレーズと化しています。
実際クラスでも不登校な子が何人かいて、大体中学生ってそんな時期なんですが、娘もそれに引っ張られるように行き渋りが激しいのです。
私も「そのくらいでピーピー言って、根性が足りん!」とか言いがちなんですが、そんな声掛けはNGだと”子どもへの声かけ”の本でしつこいぐらいにダメ出しされました。
そして最近は「逃げてもいいよ。頑張らなくていいよ。」という心地よい言葉をかけてくれる人も増えましたよね。
私も家事する時は逃げたいし、頑張りたくもないので、そんな時にこんな耳障りの良いことを夫にでも言ってもらえると心底ハッピーになれます。
ですが。この声かけ、一見優しそうに見えて実際は他人事の無責任セリフであって、根本的な解決にはなりません。
さっき夫に言われたら嬉しいとか言いましたが、そんなの一瞬のことであってすぐに「じゃあお前がやれや」と脳内で憎しみへと変換されるのです。
もちろん子どもに対しても同じで「休んでもいいよ。ゆっくりしてね。」と言ったところで、たった1日ゆっくりしただけで何が変わるのでしょうか。
さらに学校に行きたくなくなるかもしれないし休み癖がつくかも。それは言い過ぎだとしても、どんなに自分が逃げてしまってもまた嫌な日常は必ずやってきます。
じゃあどうしたらいいのか。
やっぱりそれは”声かけ”でしか解決できないです。
「学校行きたくない」と言っている子どもに「じゃあ休もう」と親が思考停止するのではなく、一緒に解決法を考えるのが先決。
私はまず娘に学校で蓄積された鬱憤を吐き出させることにしています。
とにかく話を聞いて聞いて聞きまくる!それがどんなにしょうもないことで、聞くに堪えないことだったとしても、です(○×先生●ね!●●ばれ!とか)
話の途中で「…ところで水筒出してよ」とか絶対言っちゃダメ。子どもはマジで萎える。
で、子どもの話を一切否定しないこともテストに出るレベルで大事。
まだまだガキンチョなので間違ったことも当然言いますよね。しかも自分が世の中のこと全て理解してるかの如く小生意気に。
やりたくない料理を作っている時にそんな口の利き方をされるとイラッともしますが、そこは無の境地。今は吐き出させることが大事なので、うんうんとまずは聞いてあげます。
すると段々子どもは落ち着いてくるんですよね。そこで間違いの指摘したり、逃げなくて済むような代替案を出したりしました。
もちろん昭和の根性論を推すわけではなく、「じゃあ、次の休みはこんな楽しいことをしよう」とか「だったら、この日は特に何もなさそうだし休んでみる?」とか臨機応変に提案してみる。
でも、学校から貯蓄してきたストレスを全部吐かせると翌日も朝から「学校行きたくない!まじ死ぬ!」とか言いながらすんなり靴履いて「行ってきます」と娘は今日も学校へ行きます。
もちろんこの方法も根本的な解決はしてません。
ですが”逃げてもよい”と子どもと同じベクトルの先に背中をさらに押すのではなく、とりあえず一旦そのベクトルに突き刺さって受け止めてみるのもいいかもしれません。
もし、それが自分を突き抜けてしまった時が本当に「逃げてもいい」ときなのかも。
子どもにしてあげられることは多くないですが、こんな時だからこそ子どもを「ひとりにはさせない」工夫をしていきたいですね。